奉納=神仏を楽しませ鎮めるため、供物を供えたり、その前で芸能・競技などを演じたりする。「神楽を奉納する」
【奉:たいまつる/たてまつる/たつ:献上する、ささげる、さしあげる、敬う謙譲表現】
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【納:おさまり:乱れや騒ぎが静まること、問題が解決すること、調和】
(これもまた、どうフランス語に翻訳するか悩みのタネです。)
エンターテイメント色の強い「演奏」より、奉納というと宗教的な固いイメージが最初に浮かびますが、鎮める(しづめる)だけじゃなく楽しませるという意味も含まれています。
そもそも日本の打楽器の原点は天照大神(アマテラス)を洞窟から引っ張り出すために、セクシーダンスを舞う女神が裏返した船の上で踊った時の音だと古来から伝わる日本の神話にあるとは私のイメージです。この面白いキャラクター天鈿女神(アメノウズメノカミ)は、後に道案内の神様猿田彦神と結婚し、その子孫、猿女一族・猿女君は、宮廷祭祀に神楽を舞う役目となり、神々を喜ばせて関心を引き踊りを通じて神々の託宣を聞くという呪力を操る女性集団となりました。その踊りは非常に熱狂的かつエロチックで、神に捧げ豊穣を祈願する神懸かりした姿は、神と人との間を媒介する巫女なのでしょう。
捧げる、気を引く、楽しむ、またエロチックな様子がとても日本的なルーツを表現していると思います。
このような伝説は様々な文化にもあり、時には神話として、あるいは宗教の教えになり受け継がれてきています。世界を見渡すと、かなりの歌・音・楽器はそこから生れています。古代では日常生活でも感じられる何かを人が神と呼んで、森羅万象とも言い、その人間を超えた存在との交信の道具として打楽器が使われてきました。古来1000年以上前から鼓も自然と神とコミュニケーションを取るものでした。やがて鼓は大鼓と小鼓に分かれ、それに笛が加わり、謡と舞が組み合わせられる事によって、約600年前「能」が形作られましたという道筋は自然の流れと感じます。それは現代に伝わり、能楽はユネスコ(人類の)の無形文化遺産に認定されています。
大鼓の音を通じて、異次元の彼方から響いてくるようなエコーがあり、別の世界に導かれるような作用があると大倉正之助氏。能舞台もこの世とあの世をさまよう場です。大鼓は楽器というより、そういう役割を担わされている道具とも言います。能楽は精神と肉体の調和を目指し、そして「幸せのために」というのが原点です。
というと、とても神秘的ですが、大倉さんの例えば話はとても分かりやすい:ある人が咲いた草花を見て、きれいだねという歌を詠んであげたら、花の精が出てきてお礼に舞を舞ってくれた。そういう曲があるほど、昔の人たちには、自然と和やかに語り合うゆとりや豊かさがあった。今は、そうしたことを忘れて暮らしているのかもしれません。
我々は古代の起源的・原始的な姿・役割をもう一度よみがえらせるという願いもあり、素朴に素直に大鼓を交流・交信のお道具のひとつとして打つことにしました。

目次
調べ
調べ(2):バイクお兄さん
調べ(3):考え方
調べ(4):大鼓との出会い
調べ(5):下谷へ・寺でのお稽古
調べ(6):キーワード
調べ(7):演奏か奉納?
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いくつかの面白い能に触れる機会です。皆さんも是非とも!
●大倉正之助プロデュース 続きはこちら
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東京能楽堂囃子科協議会が主催する会は年4回(3月、6月、9月、12月の第二水曜日)、千駄ヶ谷の国立能楽堂に行います。12月の会に始めて伺いましたが、見所満載でした!
一日で5人の大鼓もお囃子方の調べを聞くこともできました。金剛流のお家元を含めて観世流の舞囃子(面や装束を付けないで舞う)、大鼓方・安福建雄氏の一調(打楽器奏者一人、謡い手一人)、大倉正之助氏の大鼓の2会目の出演は始めてみたお囃子のある狂言。能とは違ってお囃子方が床几で正面に向いていなくて、笛と小鼓は左向きに、大鼓と太鼓は右向きに横を向いて、向かい合わせで正座しています。
また、宝生流による能「嵐山」も2人のシテ方(ツレ)は同時に同じ舞を行うとは始めてみました。前シテ、後シテ、前ツレ、後ツレ、後ツレ、、何と5の面を見られました。
嵐山の花見をする老夫婦は実は、それらの桜たちが移し植えられた元の里の吉野山の子守明神と勝手明神です。その二人のツレの不思議なダッブル舞に加えて、蔵王権現が現れて共に平和な世を舞います。
脇能物、初番能であり、花見という春を感じさせるテーマで目出度い気分になりました。残念ながら、後で知った蔵王権現の特徴であるポーズ:右足を高く上げて、衆正を救済するエネルギーを見せる瞬間だそう。また見る機会を見つけたいと思います。
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毎年の恒例は増えてきたことは嬉しいですね。七福神は松の内の6日が巡り日和!特に日本のこの時期の天気は本当に素晴らしいですね。1時間程の良い散歩で、外の空気を吸いに行きましょう!
下谷の英信寺の大黒天は三面大黒天です。(真ん中は大黒様、右は弁財天、左が毘沙門天、後は宝珠形光背)。 出世、開運、商売繁盛の御利益があります。
今年は10人で巡りをしました。面白いことに殆どお初の七福神巡りでした。フランス人が日本人を案内する七福神巡りとなりました(^ー^)。

英信寺(台東区下谷2-5-14)(JR鶯谷駅より徒歩7分、日比谷線入谷駅徒歩7分)
下谷七福神参りイラストマップ:英信寺(大黒天)元三島神社(寿老人)真源寺(福禄寿)法昌寺(毘沙門天)弁天院(弁財天)正宝院(恵比寿)寿永寺(布袋尊)
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書き初めを本格的に考えるようになったのは書のお稽古を初めてから、まだ日は浅いです。
2006年、私の初書き初めは「主」でした。最初から、なんでこんなシンプルで難しい字を選んでしまったのかとも思いましたが(0- 0)。主なものを見分けて主に思うことを願ってのこと。
2007年の書き初めは「註」に決めました。その流れは不思議なくらい自然でした。2007年のマイテーマは「集中」としましたが、その字の形もバランスもぱっとしないし、「主」との流れもうまく繋がりませんでした。辞書のページをぼう~と捲りながら、「註」という字に出会いました。難しい解釈ですが、「語句・文章の意味をわかりやすく解説すること、書物に対しての注釈をする・集める・まとめること。」それは私の今の「伝える」役目(会社、社会、家庭など)を考えると最も近いと感じました。
お稽古を重ね、大倉さんの指導での話や同門の仲間達との話を自分のフィルターを通し集めることもそのひとつ事だと思いました。忠実ではないかも知れませんが、話しは変換・展開していくことでしょう。お稽古を始めた頃から自分も変わっているのが当たり前と思い、1年、5 年、10 年後、グリーンやブルーで手を入れた文書の数だけ自分の成長・進歩と思える日まで。
道具は大鼓のみならず、自分自身、その自分を研ぐお稽古を通じて、、
音よりしらべ(調べ)?
「しらべ」大倉正之助さんが良く口にする言葉です。「言」偏に「周」(まわり)と書いて「調べ」です。
調べ=演奏、メロディー、楽曲、曲、調子。
つまり、その日の空気を感じ、自分の周りのあるがままの音を打つという事です。
この言+周=調べは自分にとっては大鼓のみならず、このストリーもまた、周りの空気を感じ、言の葉に変えること。

目次
調べ
調べ(2):バイクお兄さん
調べ(3):考え方
調べ(4):大鼓との出会い
調べ(5):下谷へ・寺でのお稽古
調べ(6):キーワード
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2010年12月19日 天鼓と猩々
能舞台の鑑賞は様々な視点から見るようになって更に面白みを見つけました。
・天鼓(てんこ)
四番能、雑能物とも言い、人間の話は主なテーマの演目です。天鼓は秋の話だそうです。
中国の伝説で、妊娠中に鼓の夢を見たお母さんが息子を天鼓と名付けます。天から降りてきた鼓をそこ子が手に入れ素晴らしい調べを打ちます。帝がその鼓を求めてきて、逃げる天鼓が呂水に溺れます。帝に届けられた鼓は誰が打ってもまったく音を出しません。天鼓のお父さんを呼び出し、その鼓を打たせることになります。(ここまではワキから聞かせれる話で、意外に言葉でも大体分かるようになった私に私が驚きます)
現れる前シテの能面は「小尉」(こじょう)、橋岡一路作で、我が子を沈められた悲しみの上、宮内に呼び出された複雑な表情を見事に表していると感じました。立体的な顔、シワの複雑な模様、影気味の目に追い詰められるように思いました。鼓の調べを聞けた帝から丁寧に、数々のプレゼントを頂き返されます。
帝は呂水に菅絃をもつことにします。後シテは呂水から呼び寄せられた天鼓の幽霊です。能面は「童子」(どうじ)ですが、「慈童」(じどう)を用いることがるようです。主に観世流ですが、妖精の神秘性とちょっとチャーミングな表情とえくぼが特徴です。楽しいそう、嬉しそうに鼓を打ち、また消えて行きます。
なんと悲しい、無惨な話だなと思いました。親子の絆を歌うものでもあり、鼓は波の音にと言われますと、その足で海岸に向かいたくなりました、冬の13夜の今夜。
・猩々(しょうじょう)
五番能、切能物とも言い、鬼などを語る演目です。
ワキが述べたことも、大体聞き取れて、面白くなってきた私がいます。親孝行したい少年は酒売りすれば儲かるという夢を見ては商いを始めます。商売繁盛の店に良く訪れる猩々とは酒の妖精です。酒の影響で猩々は髪も装束も面も赤いです。面はこの演目にしか用いない朱色で、海に住んでいるので濡れ髪に、ほほ笑みの浮かぶ表情です。朱色の顔料は時間とともにとても変色しやすいとされていて、能面が生きているとも聞きます。海から現れたシテが酒壺から酒を飲み、舞ます。壺がいくら飲んでも減らない壺になり、猩々は海中に戻ります。祝いの意味を込めている話です。
秋の夜空の下、水上に舞う猩々が見所な演目です。風の音、波の音をバックに舞う場面として、お囃子に注目したひと時でした。
宝生能楽堂にて、五雲会
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そして2006 年10月下旬、ある週末の夜、大倉さんから電話がかかってきました。それは下谷まで来ないかというお誘いでした。そこではバイク仲間による大鼓のお稽古が行われており、いつのまにか私も毎週通うようになりました。皆さんとは初対面で誰が誰が良くわからないまま、自分の事で手いっぱい、自分のスタンスと一生懸命さで手いっぱいでしたが、上手に演奏するより、集中し、仲間の気を感じるというお稽古だったため、名前を覚える前に皆さんと向き合う事で、まず個性を覚えました。
ほぼ毎週通う15人程のメンバーと始めたお稽古は下谷のE寺というお寺で行なっていました。お寺でお稽古!それは、まったく想像と違ってました。私の勝手な想像は、暗くて寒くて皆、こそこそ声で話すイメージで、間違ったらばしっとたたかれるというもの。ところが、明るいお稽古場でした。真冬には電気カーペットを引いてくださり、着物に着替える部屋には暖房を入れてくださって、お酒も飲むし(稽古後ですよ)、子供は廊下を走り回り、ゲームしています。
最年少の同門はAoファミリーの娘達、小学校2年生のYuちゃんとその妹、Haちゃん、世界にひとつしかない大鼓家族! 二人はマスコット的存在でありながらとても真面目に、心から打っています。この二人の礼儀正しさ、まっすぐな気配りに驚きました。私は子供は苦手なほうなのですが、この二人は特別です。夜遅くまでお稽古が続くと本堂の隅っこに静かな寝息をたてているのも私自身の集中力を試されているような気がして、ありがたい存在です。
通常、お稽古は16時ごろまでに集合し、着物に着替えて、大鼓を組み立て、17時から本堂に移り2時間程のお稽古、終わったら片づけなどして20時をまわります。時にはミーティングをしたり、ピザを頼んだり、近くのお好み焼きか焼き鳥屋さんで食事したりし、皆さんと話せる大事な時間でもあり、とても楽しい時!下谷から早くて1時間かけて帰宅、もっと遠い人も少なくありません。この集まりはなんでしょう? と走りながら、ふと、そう思っても立ち止まれないままお稽古は続いています。
わずかの回数で新年を迎えましたが、キーワードは自分の中で花を咲かせ始めていました(実った)。

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調べ
調べ(2):バイクお兄さん
調べ(3):考え方
調べ(4):大鼓との出会い
調べ(5):下谷へ・寺でのお稽古
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大鼓に本当の意味で初めて出会ったのは2005年も終わろうとしている師走のこと、大倉正之助さんのお稽古を体験するため男女7人の日本人と外国人グループが池上本願寺に集まりました。殆どが寺に入るのも、着物を着るのも、楽器に触るのもすべて初めて、慣れない戸惑いをよそに、とにかくお互い見ながら、さぐりながらの一日でした。男性は大鼓、女性は小鼓という振り分けでした。しかし、残念ながら、小鼓は貴重な体験でしたが、しっくりとはきませんでした。
洋服に着替えて帰ろうとしたその時に、大倉さんに止められ、「大鼓も打ってみる?」。そこで基本の姿勢だけ伺って打ってみました。
その音は、、ビギナーズラックといいますか、初心の心といいますか、シャープにとても気持ちよく打てたのです!
・・・・・私は大鼓だなと確信しました。

目次
調べ
調べ(2):バイクお兄さん
調べ(3):考え方
調べ(4):大鼓との出会い
調べ(5):下谷へ・浄土宗英信寺でのお稽古
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人生論とは大げさな言い方、私は日常論の方が当てはまると思います。ビッグピクチャーの人生論も大事ですが、毎日どう世界や人と接するかということはさらに重要な事だと思います。人生論・世界論があっても日常論なしでは何の意味もありません。また人生論なしでは日常論もありえないと私は考えます。
例えば、水を流しっぱなしにしないということは日常論です。水代が高いからや、夏の水不足のためではありません。私は若い頃からヨットで旅してきました。ヨットの旅ではそのヨットに積んであるものだけで生活することになります。勿論積める水も電気も食料も限りがあります。真水は制限され、飲み水も、皿を洗う水も、体を洗う水もどう節約(大事にする)して使うか、コツはこういう環境にいるとすぐ身に付きます。それがくせになり陸にいる時でも自然と気になってしまいます(意識的にではなく無意識にそうなります)。自分の分の水だけが足りなくなるわけではでありません、一緒に乗っている皆もそうです。ヨットの場合は4~5人ですが、家にいると10人、ビルにいると何十人、町にいると何百人。そして、動物達、植物達も…。そういう環境に置かれると日常論は自然と身に付くもので、子供の教育はもちろん、大人の教育にもとても良い経験だと思います。面白い話があります。ヨットのシンクに熱いお湯を流すなと昔おそわりました。熱でパイプが溶けるなどの理由だったのでしょうが、日本人の主人と初めてパスタを作った時、驚いたことにヨットに乗ったことのない主人がお湯と一緒に水を流しました。「どうして?」と聞いたら、母から台所のシンクなどに住んでいる神様が怒ると子供の時におそわった習慣が根強くて、不思議なことに日常の生活の中にはそういうエピソードがたくさんありました。やはり繋がっている! これが知恵だと!
国境を超えて、人と生き物と地球と宇宙と神々は繋がっているという事を感じました。八百万の神が住まう日本であったからかもしれませんが、、
その響きは大倉さんと話す時にも感じられます。単なるバイク乗りで上手な演奏をするだけの人ではない!古代から人類が宇宙や自然と共にあり、その証に古代から伝えられてきた祭事、そのひとつとしての芸能の精神。現代社会ではそれが崩れてしまいました。古代より受継がれてきた精神も失われつつ、揺るがされていると思います。宗教、無信教、新宗教、スピリチュアルの孤独さを感じられる現代、向かい合うべきは、まず、人ではないかと、そしてその中でも自分自身だと思います。
精進(しょうじん)すると良く口にする大倉さん、そのことだけに心を集中して努力すること!なんとなく無信教の私に重要なキーワードを与えてくれました!精進する、欲を捨てるとも解釈できます。私は集中すると解釈しました。様々な雑用・雑念に追われ、大事なものを見失いがちな日常で、周りから意識を独立させる訓練でもあります。気になると気にする! それはいやな思い、人へのいやな気を放つことにもなります。精進し、己自身を見つめた時、回りもまた見えてくるものかもしれません。
最近読んだ大好きなSFの若手作家[ sentinelles de la nuit ](ナイト・ウォッチ/夜番)の発想が面白かったので、簡単に説明します:人間がだれもが魔法のパワーを持っています。知らないうちにそのパワーを使っています。人を睨む、悪く思うなどするとその人の精神(頭の上)に黒い渦ができます。様々な敵・恨みを引きずっている人の渦は深い黒で大きくどんどん押されるようになってしまいます。このイメージはあまりにも分かりやすくて地下鉄に乗っている時、ふっと人の頭の上をぼ~と見ようとしている私がいます。また、人の感情は物に移る、物には思いが宿るとも日本では表現されますね。

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調べ(2):バイクお兄さん
調べ(3):考え方
調べ(4):大鼓との出会い
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KAGURAZAKA THEME PARK
あなたの“懐かしい”が みつかるかもしれません。
主催 NOAMI feat. 20th Centurieeeees
●10月15日(金)19:15〜予定、鼓と?のコラボレーションです。是非ともお立ち寄り下さい。
2010年10月15日(金)~17(日) 13:00~20:30(最終日は18:00まで)
15日(金)+ 16日(土)には19時頃からステージ?があります。
【夜の部(18:00以降)】のみ木戸銭(入場料)1,500円 (ワンドリンク付き)
場所 フラスコ神楽坂 /神楽坂駅1番出口/牛込神楽坂A3出口〜徒歩3分
新宿区神楽坂6-16 電話03-3260-9055


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