岡達也のブログにてお勧めエントリです。
「自分の本質から湧き上がるものと素直に向き合い、そのままを形にすること」
何かを表現しようとする様々な方法論に当てはまることですね。
たて糸・ヨコ糸
2009年7月9日 自分を壊す
2009年5月26日 直したいの虫
観察力はどんな作品でも発祥ですね。
描く能力以前に観察できる能力!と良く描きの下手な私を励まれる言葉ですが、それは描きのプロセスに限らずすべてに置いて言えることだと思います。
更にいえば、観察すればするほど、新しい発見もあります。変わる自分も見つめられるプロセスです。
その分かりやすい例として:大鼓 大倉正之助さんがモデルとなった作品は風神雷神始め、2003年に描いた「満月」 の変わり方を見られる岡 達也のブログを参照に是非とも
2009年4月21日 人を信じる力
先ほどの「カンブリア宮殿」の放送で、加賀電子の創業者塚本さんの話しで、社員を信じることという話しを伺いました。
社員のみならず、人生で出会った人を信じる力のパワーは、信用を呼び寄せるだけではなく、幸せを呼び寄せます。疑ってかかる人は疑いで迎えられるのも当然ですよね。それは難しくなった世の中と言っても、言ってこそ、自分から行なうべきですね。
希望がないと思っていることにでも、その人を信じる、、
去年の今頃に言われた言葉ですが、偶然にも今日、信じ続けたことに明るい兆し(日差し)が見えました。信じ続ける信念が叶える時の喜びはぁぁぁ!虹色の花火です!
今後もこの輝く虹の欠片を忘れずに、人を信じるように、、
2009年4月19日 デザインと音楽の違い
クリエーティブな人間の活動で国境・言語の壁を越える表現として良く言われるのはデザイン(アート)と音楽です。私の仕事はある種の”通訳”と思っています。言語の通訳だけではなく、考え方などを色んな手法で、伝える働きをしています。
言葉を越えるデザインと音楽の両方とともかかわってきて思ったことは:両方とも人に感動を与えられる力は素晴らしいです。しかし、音楽の即興性はとても特殊です。音楽はその場でできて、一人でも、どこでも、人ともコミュニケーションできる優れている交流のきっかけです。その場で絵を描けませんからね。その反面に、音楽は消えていて記憶だけに残ります。
それぞれの活動にも真剣にかかわっていて、音の線にもデザインの線にも同じく生命をかけている人から生じる人びとに伝わる感動は素晴らしいです。ちょろちょろっと簡単にできるように見えて、実は非常な集中力と神経の鋭さが働いています。簡単にできるように見えていることはまたその方々の美しい姿ですね。
2009年4月18日 サインブックというツール
サインブックは最初や最後の接点として作品ではないのに、大事なムードメーキングツールです。展示会を企画しても訪ねても重要な課題です。
いかにもジャパネスクな和紙の芳名帳ではなく、幸せ感いっぱいのブライダル使用のゲストブックでもなく、手書きの不慣れや個人情報の議題も取り上げられている現代でも気軽に記帳できる方法を色々工夫されています。
ex ex poでは、毎回そのテーマや時期に合うサインブックを皆さんに提案しています。


2007年はサインツリーという方法でした:名刺を残す方も、署名をする方も、リーフ型のカードに、ひとつの出合いを記します。展示会の日程が進むにつれて、ご来場の方々の一葉、一葉が五月の新緑のように会場を彩りました。
2008年はコースターのテーマで、「Exprime cafe」にいらしゃった皆さんにメッセージを描いて頂きました。昔フランスで貧乏な画家達は食事代の代わりにコースターや紙のテーブルクロスに書いたように、、
大人が子供に戻る時間ですね。
2009年の和MUSUBI展には、下手上手ではなく、皆さんに筆を是非とも手に取って頂きたかったため、どんな筆なら?と、選びぬいた筆は皆さんに好評で、
求めたい方が多かったのでネタを明かします。
( Nさん、店探し感謝!)
太い方:開明筆ふとふで皇龍(購入したのは銀座の鳩居堂2F)

竹の柄の方:あかしや天然竹筆ペン桐箱入り(購入したのは銀座の伊東屋6F:クレタケ等の一般的な筆ペンの売り場とは別です!桐箱がついていない商品もあるようですが、伊東屋で手に入るのは桐箱入りのみ。)
2009年3月5日 道元禅師
私は教義は親しめない理由の一つは理屈かも知れません。
偶然見た番組で、禅宗・曹洞宗の開祖、道元禅師の言葉の非常に分かりやすい解説に「悟り」の欠片を頂きました(^ー〜)
その一つは「自未得度先渡他」(じみとくどせんどた)の話しでした。
クリスト教などの教えでは、良い人でいる事、右を叩かれたら左のほっぺを出しなさいという教えが多いと感じます。理論を分かっても、心が打たれないままでした。
自未得度先渡他の解説は同じように始まりました。
人間の世界と理想の世界を別ける川があります。座禅をする人はその川添にたどり着き、悟りを開いて、理想の世界に渡ります。しかし、自分の悟りだけを考えるではなく、人間の世界にいる他の人達が渡れることをすべし。「お先にどうぞ」で自分が残り、渡らせることですね。それにプライドを持たないことで、いつかその方々が自分や他の人たちに「お先にどうぞ」と言えることだけ思うこと。
ここまで、失礼な言い方かも知れませんが、良くある教義だなと思いました。
ここからはひらめきでした:こちの人間の世界にいる人たち皆「お先にどうぞ」となれば、川のこち側こそ理想の世界になり、渡る必要がなくなります!
素晴らしい結末で、この理屈好き私でも納得しました!
(理解することと、実戦することはまた違うもので、、、、)
※ NHK教育の番組「こころの時代」(2009年 2月22日(日)14:00~15:00)で駒沢大学の角田さんのとても分かりやすい解説にてインスピレーションを頂きました。
2009年2月6日 禅な話し
最近友達に相談されたことをきっかけに、昔読んだ話を思い出しました。
先輩と後輩二人のお坊さんが旅をしていました。山道を歩いている時、川の水が道にまで溢れているところを通りがかりました。そこには、大変美しいお嬢様が困り果てた様子で立っていました。
先輩のお坊さんが訳を伺うと、川の反対側に渡りたいが渡れないとお嬢様が答えました。
では私が、お運びしましょう。と親切な先輩お坊さんは、おんぶしてその川を渡りました。
お嬢様は丁寧に御礼し、それぞれの道で旅を続けました。
それからかなりの時間が経ち、多くの距離を過ぎたところで、若い後輩弟子のお坊様が先輩に伺いました。
私たちは修行僧で女性との接触をさけるべきのはずなのに、先ほど先輩は女性をおんぶしてしまいました。それはいけないことではないのですか?
先輩のお坊さんは後輩弟子にこう答えました:
私は川を渡る間だけおんぶしましたが、あなたはそれからの道をず〜とおんぶしていたのですね。
とても良い話しで、さっぱりします!
このことを日常生活にも意識して行きたいものですね。
2009年2月5日 日本SAMOURAIは現代版に?
口から生れたと言われる程議論好きなフランス人は、他人との意見交換、口論にならない議論を面白く楽しく一晩中に語れます。お互いの視線を相手に伝えようとするコミュニケーション、相手の立場を理解しようとするマインド、その場に日本の方がいらしゃるとけんかと勘違いされるようです。そうではない理由は、相手を尊敬することをスタートラインにしていることだと思います。年齢上下関係なく、個人の意見を正確に伝えよう・理解しようとする一生懸命な姿勢があるからです。それは相手の意見が大事だと思っているからです。どうでも良い人間へ一生懸命発信しても仕方ないという発想はどこかありますので、そういう話しをされたら、「あなたの意見が私に取っては大事です」という裏の意志表示も理解して頂くことは異文化コミュニケーションに大事かと思います。日本の文化では言葉要らずで阿吽の呼吸を目指すべきでしょうが、下手でも言葉は必要な時があります。それを否定しても現代社会に背を向けるだけに見えます。また、言葉だけ頼りせずにそれ以外のシグナルを感知できるように感を研ぐことを最近しなくなったのが残念で、再認識も必要な気がします。
最近、師匠から言われたことはとても印象的でした:武士は無駄な戦い(命賭け)しない、覚えておくと良い!
似ているようでも、雷でストライクされたような閃きでした。すべてそれに置き換えると、色々分かりやすくなりました。
理解するのと実施するとの間の距離は遠いものでしょうが、千里の道も一歩から始まります。私は一歩目のための足を上げた時点にやっと立った気がします。
2009年1月9日 書き初め
書き初め初めて4年目。

2006年は「主」、主なものを見分ける。
2007年は「集註」、主なものに集中する、色んなものに惑わされない。
2008年は「掴」、チャンスを掴む、空気を掴んで進む。
今年は「結」、アイデア、人、国、文化、感動、元気を結ぶ。
さて、早々スタートした2009年、来週から和MUSUBI展示会を開催しますので、是非「むすび」にいらしゃって下さい。


