明日3月10日(水)の毎日新聞・関西版の夕刊を是非ご覧下さい、、、ご笑読下さい。
2010/02/10「草食系日本男子こそサステイナビリティー(持続可能)の道」
2010/01/13「留めない振袖」
2009/12/02 「着物の下には」
2009/11/04「内股?外股?」
2009/10/07「月にウサギがいない」
明日3月10日(水)の毎日新聞・関西版の夕刊を是非ご覧下さい、、、ご笑読下さい。
2010/02/10「草食系日本男子こそサステイナビリティー(持続可能)の道」
2010/01/13「留めない振袖」
2009/12/02 「着物の下には」
2009/11/04「内股?外股?」
2009/10/07「月にウサギがいない」
明日2月10日(水)の毎日新聞・関西版の夕刊を是非ご覧下さい、、、ご笑読下さい。
前月は2010/01/13(水)「留めない振袖」
今年も成人式の季節が巡ってきた。私も来日して20年を経て、やっと、いろんな物が見えてくるようになった。
日本の成人式で連想するのは、やはり振り袖姿の女性たち。長い袂(たもと)を垂らし、喋々(ちょう、ちょう)のように振る舞う姿は、花畑で夢心地の気分に浸っているかのようだ。
この季節に、来日した知人を街中に連れ出すと、必ずや夢中になって写真を撮り始める。「ビューティフール! トレージョリー!」。彼らは、初い初いしい女性の斬新な髪形や組み合わせに、目は釘付になっている。
結婚したら袖を切って留め袖として着ることを昔ほど重んじる必要がなくなってきたのか、振袖は今や思い思いの演出を楽しむ衣装になりつつあるのかもしれない。
いつの間にかウェディングドレスのように一度きりの晴れ着になり、華やさも一層増したようだ。
自分の若々しい姿を思い通りにデザインできるから、「楽しい! 着たい! 一度だけだから!」。そういう意味で振袖は伝統的な着物を身に着けるのとは気分も異なるのではないだろうか。
歴史や伝統をおざなりにすることはないが、振袖の特性を存分に楽しみながら、自分をデザインすれば良い。その楽しみを体験するうちに、新しい自分を見出す扉がまた一つ増えていることに気づくかもしれない。
2009/10/07「月にウサギがいない」
2009/11/04「内股?外股?」
2009/12/02 「着物の下には」
冷静と冷たいの違いは廻りから見られて思われるものです。
レースの現場で思わすの出来事でも感情(パニック)に溺れないことは大事です。命にもかかる事。昔そう言われたことを思い出します。厳しい現場だから普段と違うその力を発揮できるのではありません。本人が変わったわけではなく、廻りの他人が初めて本質を見えるのではないでしょうか。
普段はあんなに感情的に爆発する人なのに、データインプットを常にしていていざというその時に冷静な判断を下せます。廻りから見て信じられない程違う人に見えます。冷静なその行動は時として冷たく感じられることもあります。それは人を勝手に、自分の酌で判断しては、いけないということですね。
あらゆる場でそれを自分も覚えておきたいものですね。
明日13日の関西版の夕刊を是非ご覧下さい、、、ご笑読下さい。
今日健在で受けることが珍しくなった授戒会の法事に招かれて北鎌倉の円覚寺を初めて訪ねました。事前の勉強不足で参りましたが、、大変感動しました。法事をリードしたご住職は私が毎年訪ねる熊野の速玉神社の近くのご出身でした。最後に話されたルールの守り方について大変実る話しも多くて、自分が法事の”単なる”観客ではないことに気が付きました。喜びを分かち合うだけではなく、自分も今日を通じて学んだことあった、改めてそういうご住職や神主さんの偉大さを感じました。
品川や大崎から1本の電車で行けるからこそ、北鎌倉駅で電車のドアが開き降りようとした時に、突然、鳥の声に迎えられて、別の世界に運んでくれた銀河鉄道かと疑いました。
ご住職が寺の修道など案内して下さいました。修業の厳しさと優しさを身にしみました。午前中に法事が終わり、とても天気の良い日曜日で、最後に寺の出口へぶらぶらと向かう途中、細い岩の階段を見つけて、好奇心に指導され登りました。そこに「龍蔭庵」と出会いました。紅葉の木の下にある広い縁側テラスに腰をかけて抹茶は頂く。単なる寺の喫茶場ではないことを薄々思いながら訪ねないでこの場所、この瞬間を6感すべてで味わおうとする。寺の建物の屋根は”山”のように見えて、とても安らぎの場所。色んな方が出入りして、お茶して、おしゃべりして、シソを持ってきて、シソの葉っぱを抜いて、花の手入れして、、無理に話しをかけない、無理に無視しない、、自分でいられる、とても自然な自分。私は、ここ何年通っているか?、自然に自分も絵に入った。龍蔭庵の皆さん、感謝!
真っ昼間の太陽の下に咲いていたこの蓮は、、帰るごろにすっかりと閉まっていました。寺の門もとっくに閉まっていました。

岡達也のブログにてお勧めエントリです。
「自分の本質から湧き上がるものと素直に向き合い、そのままを形にすること」
何かを表現しようとする様々な方法論に当てはまることですね。
観察力はどんな作品でも発祥ですね。
描く能力以前に観察できる能力!と良く描きの下手な私を励まれる言葉ですが、それは描きのプロセスに限らずすべてに置いて言えることだと思います。
更にいえば、観察すればするほど、新しい発見もあります。変わる自分も見つめられるプロセスです。
その分かりやすい例として:大鼓 大倉正之助さんがモデルとなった作品は風神雷神始め、2003年に描いた「満月」 の変わり方を見られる岡 達也のブログを参照に是非とも
先ほどの「カンブリア宮殿」の放送で、加賀電子の創業者塚本さんの話しで、社員を信じることという話しを伺いました。
社員のみならず、人生で出会った人を信じる力のパワーは、信用を呼び寄せるだけではなく、幸せを呼び寄せます。疑ってかかる人は疑いで迎えられるのも当然ですよね。それは難しくなった世の中と言っても、言ってこそ、自分から行なうべきですね。
希望がないと思っていることにでも、その人を信じる、、
去年の今頃に言われた言葉ですが、偶然にも今日、信じ続けたことに明るい兆し(日差し)が見えました。信じ続ける信念が叶える時の喜びはぁぁぁ!虹色の花火です!
今後もこの輝く虹の欠片を忘れずに、人を信じるように、、
クリエーティブな人間の活動で国境・言語の壁を越える表現として良く言われるのはデザイン(アート)と音楽です。私の仕事はある種の”通訳”と思っています。言語の通訳だけではなく、考え方などを色んな手法で、伝える働きをしています。
言葉を越えるデザインと音楽の両方とともかかわってきて思ったことは:両方とも人に感動を与えられる力は素晴らしいです。しかし、音楽の即興性はとても特殊です。音楽はその場でできて、一人でも、どこでも、人ともコミュニケーションできる優れている交流のきっかけです。その場で絵を描けませんからね。その反面に、音楽は消えていて記憶だけに残ります。
それぞれの活動にも真剣にかかわっていて、音の線にもデザインの線にも同じく生命をかけている人から生じる人びとに伝わる感動は素晴らしいです。ちょろちょろっと簡単にできるように見えて、実は非常な集中力と神経の鋭さが働いています。簡単にできるように見えていることはまたその方々の美しい姿ですね。