2010年1月17日 能で続く新年

先日は劇場で高砂(半能)と邯鄲(かんたん)を見ました。能舞台ではないことを利用してオリジナル演出の能楽現代形「能は能か、演劇か」でした。
舞台へは3つの橋掛かりが繋がっていて、舞台奥が暗みの中で、どこまで続くか想像付かない深さを感じます。
鏡板に見立てて、バックに松の書いてある大きな布がつるしてあります。 「高砂」では高砂から住吉へ海を渡る場面に帆に見立ててあることにわかります。その際にワキ方やアイ方達は舞台横に立っていて船の雰囲気はとても良く現れました。シテ方住吉明神を演じた関根祥人(よしと)氏の八段之舞は迫力いっぱいでした。途中、帆を利用した細かい演出があって、もう少し活用の方法があった気がしますが、舞から目を離れられなくて、、、

実は「邯鄲」という面が珍しく生きている人間を表現します。前半の高砂の住吉明神に使用する「邯鄲男」の面とまた表情の異なった後半の邯鄲の面を見れたことが面白い続きでした。 演劇舞台の照明なのか、若々しい表現なのかわかりませんが、面がつるつると光っていたことが少々不思議でした。
両方とも35才の大鼓の亀井広忠氏の若々しい力でした。(人間国宝亀井忠雄氏の息子さん)
シテ方、片山清司(きよし)氏の一畳台への飛び込みシーンに驚きました。その一畳は本来の能舞台であり得ない1m程上げられるようになっていてドラマチックな光景に。囃子方などの位置関係も再編成されていて新鮮ですね。空中に浮かんでいる中国風ランタンで中国の宿を表していることも面白い発想と思いました。初めて見る邯鄲でしたので、能楽堂でも見たくなった演目です。
この邯鄲、「邯鄲の枕」のモラールはいくかの解釈があるように思いました。「一炊の夢」、豊かな人生の時間はご飯を炊いている間と変わらないぐらい短い。豪華な生活は夢である。若い時の悩みは夢を見て解決される。同じ一畳は宮殿でも宿屋のベッドでもある。などなどまだ考え中、、
さて、さて、この枕を使って見た夢によって悟りを開いたということなら、私がその枕を使ったらどんな夢を見られるのでしょうかね?

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