11/3・第七回三輪清浄宇髙通成研能会
平成21年度文化庁芸術祭参加公演
東京・国立能楽堂
平成21年11月3日(火・祝)午後1時始
狂言 「水汲」
能楽 「景清」 宇髙通成
景清(かげきよ)
日向国宮崎に流されている悪七兵衛景清を慕って、娘の人丸は従者を連れ、鎌倉から宮崎へ行きます。とある藁屋にいる盲目の乞食に、それとは知らず景清の行 方を尋ねますが、乞食は知らないと答えます。土地の人に尋ねて、先刻の乞食がそうであることを知り、悲涙に咽びます。里人は娘を哀れみ、伴って再び藁屋を 訪れ、頑なに隠し拒む景清を説いて、父娘の対面をさせます。景清は、我が子の為を思って素性を隠そうとした苦しい心中を切々と訴えます。娘の所望で、景清 が屋島の合戦に三保谷と接戦して兜のしころを切った武勇談を語って聞かせた後、我が亡き跡の回向を頼み、悲しみの内に袂を分って、娘を故郷へ帰らせます。
小書【松門之会釈(しょうもんのあしらい)】
シテの「松門…」のサシ謡の前に、特殊な笛のアシライが入る。
【杖之型(つえのかた)】
扇を打物に擬して奮闘する様を、杖に変え、長刀に擬して型をする。
悪七兵衛の異名で呼ばれる景清は、藤原忠清の七男でした。父の忠清は藤原秀郷の子孫で、伊勢に住んだところから、伊(○)勢藤(○)原氏(伊藤氏)で、本名は伊藤景清、冠位名は、父忠清の七(○)男と、兵衛尉に、とてつもなく強い、を現わす「悪」を付けられて、悪七兵衛と呼ばれました。
源氏方の三保谷十郎と渡り合い、兜の錣(しころ)を素手で引きちぎった話は有名です。壇之浦で捕えられ、八田知家の邸に世話に成りますが、自ら絶食し果てたとも言われています。能では自ら眼をくり抜いて盲目の乞食になり、短い命を静かに待つところに、思いも寄らず、はるばるの道のりを越えて、娘が尋ねて来るところから、物語が始まります。
私自身二度目の演能ですが、先代金剛巌宗家の晩年に地謡を勤めさせて頂きました。鬼気迫る悪七兵衛の気骨と、老い果て行く哀愁とが、ご宗家と一体となった、素晴らしい舞台でありました。
本日は、その時の舞台を、懐かしみ、目標にして、精一杯勤めさせて頂きます。
金剛流宗家直流職分 宇髙 通成


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